ミスズライフ

きのこ人日記

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日記アーカイブ

年々増え続ける耕作放棄地に囲まれて...きのこ人は

農業が注目されマスコミでは毎日のように素晴らしい事例が報告されている。自分たちも負けずに頑張ろうと思いつつ、現実とのギャップの中で揺れ動いている。

私の農場では、明日は収穫だと思っていた新種のとうもろこしが、一夜にして全滅状態。相手が熊(?)ではどうしようもない。やられた~と叫ぶだけだ。

それでもまだまだ負けていられないきのこ人は、となりのとうもろこし畑に電気柵を用意した。その額なんと12万円。とうもろこし1本の経費は?とても怖くて電卓も打てない。この電気柵はソーラー式の高性能のもので、人間でもビビッと来るのだそうだが、これは怖くて誰も試してみる勇気はない。

山里は今人間が減り、そのぶん熊や猿、いのししなどが多数派になりつつある。
本当にここで農業ができるのか?

民主党は所得保障云々といってくれるが、農政が向けるべき現場はあまりにこわれていて、複雑なのだ。若者たちの不安げな視線の中できのこ人の挑戦は始まっています。

修羅の道からの決別

2004年から中断したきのこ人日記、中断の理由はきのこ人の根性無しの性格に尽きるのだが、この間、きのこ人はいささか混乱状態で農業や地方について何も言えなくなっていたのも本当だ。夜間に信州大学の社会人向けの経営大学院にも通ったりしてもみたが、状況は何も変わらなかった。そもそも何をめぐって混乱しているのかさえ整理できない状態が続いていたのだ。それなのに、この間にも会社は信濃町にきのこ工場を立てたり、従業員も増えたし、売り上げも増え続けてはいるのだが、きのこ人にとっては「修羅の道」を突き進む感覚でしかなかった。売れるから作る、コストを下げるために規模拡大する。この有様はどこにでもある民間企業のシェア競争とどこも変わらない。確かに生産原価が下がれば販売価格が下がり、消費者にとっては悪いことではないし、それは否定してはいけないことだと思う。

でも、でも、農業はどこか違うのだ。きのこ人たちが生きる田舎が抱える問題はこんなことでは絶対解決しない。

話題は突然変わる。聞きなれない単語だが農業の世界では「種苗法」とか「種苗登録制度」が重要視されている。企業や個人が新しい品種を開発し農水省に出願することで権利化することができる制度のことで、2次産業における特許法に似た制度なのだが。きのこ人の会社でも生態の違うきのこを交配してできたきのこをいくつか登録して権利化しているのだが、申請のたびに、このきのこを作ったのはいったい誰かという疑問が頭をよぎる。私たち人類はいまだに、ひとつの細胞さえも人工では作れていないのだ。きのこの世界ではより新しい原種を求めて世界中を探し回り、交配育種を繰り返すことで登録、権利化している。何万年もヒマラヤ山脈のどこかで生きながらえてきたきのこが、日本の企業で権利化されヒマラヤでは人工栽培できなくなることだって充分予測される。

きのこ人は思う。農業はそのような地域の風土や環境が作り上げてきた自然の下でしか成立できない。人間だってその中の一要素にすぎないし、まして農業を法人化し肥大化させてもそれはやはり、一時しのぎの「修羅の道」ではないのか。

農業法人は大型化や価格競争のための組織形態であってはならない、地域の食物連鎖やや人々の生きざまの中にしっかりと足をつけた存在でなければどこかで破綻する。きのこ人の会社は去年5haの耕作できない農地を取得してしまった。正直してしまったという感覚だ、思えば思うほど農地を持つことの意味と責任は重いのだ。

きのこ人日記再開の決意

本当に長い間忘れられていた きのこ人 ですが、少し元気がもどってきました。
それも、会社の方向を生産に機軸を置くことと固く決意したからでしょう。もう迷わずこの道を進みます。というわけで、今後は「きのこ人野菜を作る」の模様をこのページでお伝えします。

地方はぜいたくなのか

2004.春

久しぶりに栄村の実家に立ち寄る。畑仕事から帰ったばかりの母親が近くの温泉に誘うので、親父と3人で夕暮れ時の千曲川沿いに4kmほど車を走らせる。川沿いにつかまるように立つ民家のような温泉旅館に着くと、顔なじみの女将さんが母親と長い挨拶をかわす。大人400円、子供200円、60歳以上は 200円で温泉に入れる。脱衣場で中学時代の先輩に会う、奥さんの運転で生ビールを飲んで帰るのが日課になっているらしい。お先に、と 出てゆく顔がもう嬉しそうだ。畳2枚ほどの温泉にしては小さな浴槽だが、雪解けで増水した千曲川がすぐ下を流れ、贅沢の極み、田舎は最高、本当に止まってしまった時間がそこにある。

こんな贅沢な時間が持てるふるさと、でも,どうして、きのこ人を含む多くの人たちは田舎で生活しようとしないのか。働く場所や、経済的な保障があってもなお田舎に帰ろうとしない。田舎の再生を目指す当社にとって、このあたりを冷静に考えてみるべきではないか。

きのこ人が田舎に住まない理由、
その1、近所の付き合いが大変。
その2、地域の役や行事が多い、消防や公民館行事など。
その3、お店が極端に少ない、刺激が少ない。

結局具体的な理由として確たるものがあるわけではない。しかし、現実に田舎に住もうとする人と、都会を選択する人の間には、性格的に大きな違いが必要なのだ。田舎にある極端な平等主義や、共同体からの離脱を許さない社会主義的管理機構、(たとえば、生活改善の名のもとに、お葬式に出すご馳走の品数から、お酒の量まで決まっていて、それをチェックする係りが腕章をつけて葬儀委員長となって葬儀を取り仕切るのだ)こうしたことを抵抗なく、むしろ心地よく受け入れられる性格でなければ田舎には住めない。

逆に考えると、そういう性格の人たちで現代の田舎が形成されていることこそが、過疎化を考える大きなポイントなのだ。

村長さんや、有名な知事さんは、助け合い自治だとか、下駄履きヘルパーとか、コモンズとか何とかルネッサンスだと賞賛する田舎の仕組みは、きのこ人のような性格ではとても窮屈な、独自の思考を中断しないと住めない世界なのだ。実は田舎の居心地よさとか、優しさとか、安心感とかは自我や自己主張や自由をあきらめてはじめて獲得できるのだ。

こんな田舎に、自然があるから、仕事があるから移り住みませんかと、あなたなら言えますか?きのこ人は言えなくなっています。

田舎がなくなりつつある

きのこ人が生まれた、長野県最北端の村、栄村。お盆に実家の親父が言うには、隣近所18軒あったものが最近4軒誰もいなくなってしまい、残り14軒のうち70歳以上の年寄りだけの家が8軒だ。そしたらそのうちにはわずか6軒になってしまう。という。

田舎の高齢化の次に待っているのは田舎の消滅なのだ。本当に日本中の田舎が日々消滅に向かっているのだ。行政が悪いとか、長野県で言えば田中知事が悪いとか、そんなことでは済まされない、現実。過疎化という言葉はそんなにインパクトを持った言葉としては聞こえてこないが、現実として向かい合ってみれば、あまりにすさまじい事態が日々進行しているのだ。

きのこ人としてもこの地にきのこ工場があるわけで本当に困ってしまっている。土地や水や自然があっても、そこに人がいなければただの荒野だ。縄文の昔から何千年もかけて耕し広げてきた農地や、そこでの人の営みがついになくなってしまうのだ。我々田舎人が、行政やJAに頼って、自立することや変化することを怠ってきたから、都会人に見放された。その結果スーパーには外国産(最近では中国産が目立つが)の農産物があふれ返ってしまっている。そうしたら田舎の役割はなくなり、田舎は生きられる場所ではなくなる。

田舎人よ、都会人のために都会人が買ってくれる野菜を作り、送りつづけなければ生きられない。もう、そう思う人ががんばるしかないような、追い詰められたような気持ちになっている、きのこ人の今日この頃なのだ。

だから次回は「生きられる田舎、生きられる農業の条件」について。です。

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