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きのこ人日記

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地方はぜいたくなのか

2004.春

久しぶりに栄村の実家に立ち寄る。畑仕事から帰ったばかりの母親が近くの温泉に誘うので、親父と3人で夕暮れ時の千曲川沿いに4kmほど車を走らせる。川沿いにつかまるように立つ民家のような温泉旅館に着くと、顔なじみの女将さんが母親と長い挨拶をかわす。大人400円、子供200円、60歳以上は 200円で温泉に入れる。脱衣場で中学時代の先輩に会う、奥さんの運転で生ビールを飲んで帰るのが日課になっているらしい。お先に、と 出てゆく顔がもう嬉しそうだ。畳2枚ほどの温泉にしては小さな浴槽だが、雪解けで増水した千曲川がすぐ下を流れ、贅沢の極み、田舎は最高、本当に止まってしまった時間がそこにある。

こんな贅沢な時間が持てるふるさと、でも,どうして、きのこ人を含む多くの人たちは田舎で生活しようとしないのか。働く場所や、経済的な保障があってもなお田舎に帰ろうとしない。田舎の再生を目指す当社にとって、このあたりを冷静に考えてみるべきではないか。

きのこ人が田舎に住まない理由、
その1、近所の付き合いが大変。
その2、地域の役や行事が多い、消防や公民館行事など。
その3、お店が極端に少ない、刺激が少ない。

結局具体的な理由として確たるものがあるわけではない。しかし、現実に田舎に住もうとする人と、都会を選択する人の間には、性格的に大きな違いが必要なのだ。田舎にある極端な平等主義や、共同体からの離脱を許さない社会主義的管理機構、(たとえば、生活改善の名のもとに、お葬式に出すご馳走の品数から、お酒の量まで決まっていて、それをチェックする係りが腕章をつけて葬儀委員長となって葬儀を取り仕切るのだ)こうしたことを抵抗なく、むしろ心地よく受け入れられる性格でなければ田舎には住めない。

逆に考えると、そういう性格の人たちで現代の田舎が形成されていることこそが、過疎化を考える大きなポイントなのだ。

村長さんや、有名な知事さんは、助け合い自治だとか、下駄履きヘルパーとか、コモンズとか何とかルネッサンスだと賞賛する田舎の仕組みは、きのこ人のような性格ではとても窮屈な、独自の思考を中断しないと住めない世界なのだ。実は田舎の居心地よさとか、優しさとか、安心感とかは自我や自己主張や自由をあきらめてはじめて獲得できるのだ。

こんな田舎に、自然があるから、仕事があるから移り住みませんかと、あなたなら言えますか?きのこ人は言えなくなっています。

田舎がなくなりつつある

きのこ人が生まれた、長野県最北端の村、栄村。お盆に実家の親父が言うには、隣近所18軒あったものが最近4軒誰もいなくなってしまい、残り14軒のうち70歳以上の年寄りだけの家が8軒だ。そしたらそのうちにはわずか6軒になってしまう。という。

田舎の高齢化の次に待っているのは田舎の消滅なのだ。本当に日本中の田舎が日々消滅に向かっているのだ。行政が悪いとか、長野県で言えば田中知事が悪いとか、そんなことでは済まされない、現実。過疎化という言葉はそんなにインパクトを持った言葉としては聞こえてこないが、現実として向かい合ってみれば、あまりにすさまじい事態が日々進行しているのだ。

きのこ人としてもこの地にきのこ工場があるわけで本当に困ってしまっている。土地や水や自然があっても、そこに人がいなければただの荒野だ。縄文の昔から何千年もかけて耕し広げてきた農地や、そこでの人の営みがついになくなってしまうのだ。我々田舎人が、行政やJAに頼って、自立することや変化することを怠ってきたから、都会人に見放された。その結果スーパーには外国産(最近では中国産が目立つが)の農産物があふれ返ってしまっている。そうしたら田舎の役割はなくなり、田舎は生きられる場所ではなくなる。

田舎人よ、都会人のために都会人が買ってくれる野菜を作り、送りつづけなければ生きられない。もう、そう思う人ががんばるしかないような、追い詰められたような気持ちになっている、きのこ人の今日この頃なのだ。

だから次回は「生きられる田舎、生きられる農業の条件」について。です。

地方の役割、農業の役割

平成4年にきのこ栽培も順調になり、パートさん達のパッケージ作業も忙しくなってきたころ愕然とする事態に直面した。パートさんの一人が超A級品のきのこだけを拾い出しているので「どこの出荷分?」とたずねると、「いいえ、A子さんの社販分です」とさも当然のように話すのだ。お客様よりまず自分達が最上級品を取る、それが当然のことだったのだ。
そういえば我が家も昔農協に出荷する米は乾燥機で乾燥させ、家で食べる米は味が落ちるからと時間をかけて天日乾燥させていた。でも街のケーキ屋さんが今日は特別うまく作れたから店に出さないで自分で食べようと一瞬でも思うだろうか?

きのこ人創業以来最大のショック、最大の危機だ。

工場長をはじめ誰一人そのことに疑問すら感じないわが社。どうしてこれで、生産者の役割、地方の役割にまじめに取り組む会社といえるのか。最近でこそ売れ残って傷ついたわが社のきのこを見るとつい買ってしまうパートさんまでいるわが社だが、残念ながらそんなのものだったのだ。
その時、きのこ人は、やさしくさとす余裕もなく思いっきりブチ切れたのも当然です。

なぜ、農家が商売の世界から取り残され、過疎化が進み、農業では立ち行かなくなったのか?それは、戦後の農政のあり方や、農協の存在、農産物流通の不明朗性などが複雑に起因しているのだろうが。結果として、農家や産地が消費者のことを真剣に考えなくなってしまったのは事実だ。
たとえば農産物にはいまだに賞味期限がいらない、我々生産者や流通関係者にとってこれほど便利なことはない。しかし、農産物にとって鮮度が大切だと、産直やスーパーのオーダーに必死に応えている生産者の中には、賞味期限や収穫日を明記したいと思っている人もいるはずだし、スーパーや消費者も明確な鮮度に対してある程度の価格差を認めるはずだ。そしてそんな日がそこまできている気がする。
でも誰が先にパンドラの箱をあけるのか?できないきのこ人は単なる弱虫か?

次回は農業と地方の役割りについて、考えてみます。

地方の反省...ちょっと寄り道

昭和40年頃、きのこ人がまだ小学生のころ、村の夏祭りに都会から帰省したもと村人達がまぶしいほどにかっこよく感じられたものです。それと同時に、村に残ったおやじやおふくろの取り残されたような寂しさをいつも感じていました。そのころからだと思います。村に元気がなくなり過疎を売り物にし、地方交付金と食料管理法をたよりに変わることを拒否してしまったのは。死んだおばあちゃんは、終戦直後の食料難のとき、都会からたくさんの買出しの人や、疎開してきた人がいて、たくさん世話をしてあげて、たくさん都会の知り合いができたことをうれしそうに話してくれたものです。

あの時代、村は都会に対して食料供給という明確な使命を持っていました。それがいつのまにか米が余り、政府にお願いして米を作らせていただく時代になりました。あの村祭りの日、まぶしく見えた元村人のようになりたいと、きのこ人も地方の町に就職し工場で働く道を選びました。そこは、ノルマだ、納期だ、原価だ、やれ品質管理だ、シュア競争だ、改善だ、3交代勤務だ、休日出勤だと気がつくと15年が過ぎていました。
そうだ、村ではこんな努力をしているだろうか、都会に置いていかれた被害者意識保護農政にドップリと漬り、代わることを拒み続けた村は、苦労はしていても、都会のお客様にたいしてこんな努力はしていないのではないか。村で、民間企業のようにみんなが努力したら村は変わるんじゃないか。と考えるようになりました。

平成3年、そんな大きな反省の中から民間サラリーマンと村の農家が一緒になってきのこの会社を作りました。それがミスズライフです

次回こそ、農業と地方の役割りについて、考えてみます。

きのこ人、地方の反省をする

経済大国日本の歩みのなかで(所得倍増計画、列島改造、高度経済成長と歩んできた日本経済の中で)農業というか農家は置き忘れられた存在でした。食糧管理法などにより法律によって保護される、どちらかと言えば情けない存在として細々と存在してきたといえるでしょう。補助金、交付金に頼り、政治抜きには生きられない、極論すれば国営日本農業へと変質してきました。そうしている間に、日本農業は世界の農業と直面し、まさに裸で世界経済の大波の中に放り出されてしまうことになったのです。

この国営日本農業という間違った意識、これを謙虚に反省しなくてはと思うのです。地方の農業組織や構成員、生産者までそんな思い違いをしている人が少なくないと思います。たとえば私たちの長野県栄村。人口2700人なのに村役場職員は40人。農協職員30人、森林組合職員15人、村会議員さん18人、占めて103人。なんと27人に一人の割合です。15才から65才までの人口1300人に対しては、なんと1割近くになってしまいます。村を支え農業を守っているのは、民間企業や農家ではなく、国や県や全農や経済連から補助金や給付金を受けることのできるまさにこのような人たちだと言う構造が生まれているのです。このようなことで、自立する地方や、自活し競争力のある農業が生まれるべくもありません。

北信濃のえのき茸の現状についても、大胆に述べてしまいましょう。
最近五年間にえのき茸生産は培養センター方式に移行しました。生産過剰による価格下落に対抗しての対策と言われています。中野市では巨大な培養センターがいくつも建設されました。培養センターには、ウルグアイラウンド対策資金として建設費の50%が補助金、農家には栽培施設の改修資金が1%の低利で貸し付けられました。その結果当然えのき茸の生産量は大幅に増えます。生産過剰による価格の下落が起こります。生産調整すれば生産原価が上がり、作れば価格が暴落する、本当に笑えない状況です。なぜか、補助金もいただかず、低利融資も受けなかったえのき茸生産者は、価格暴落の波をかぶり、怒りの声が聞こえている現状です。

次回は農業と地方の役割について考えてみたいと思います。

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